「井戸のなかの魚」より      1969年刊  

 

瀬谷耕作

瀬谷耕作

あとがきより

” 田植えの夢をみたから、と母はよく仏壇に線香を立てた。田植えの夢はわるい夢とされていたのである。なぜ凶夢であるのかは言わなかった。 …中略…

母にとって、田植えの夢は、回想のものではなく、毎日の骨身にひびく現実であった。夢にまで稲を植えることは、それが最も心配なことであったからでもあろう。

が、また、それは、過酷な現実ー過重な小作料、高利の肥料代不安定な天気、手不足等などと対決してたじろがない、心身充実の現れともいえよう。それをなぜ、凶夢として、「夢違え」の焼香をしたのか。理由はたぶん母もわからないまま、身に迫る凶変の予感におびえて、仏神の加護を念じていたのであろう。

今、ぼくは、夢見るたびに、そうした母の姿を思い出す。そうしてぼくの病身とわがままな生き方のゆえに、母が悲しみのうちに死んでいったことを思う。思うことがあまりに深くて、胸が痛む時はぼくもまた線香を立ててみる。 … … …                  ”